ここは哲学と東洋思想の小さな宇宙です
A tiny world of philosophy and oriental thoughts
結び
以上のように、ヴァイシェーシカ学派の思想は、原子論的な思考を核とする九実体説と、語が実在に対応しているとみなすパダールタ説(カテゴリー論)という二つの異質な思想が、結果を原因とは異なる実在とみなすārambhavādaによって統合され、そこから異なる実在間の不可分な関係として「内属」という特有の関係を立てて、体系が成立している。原子論的思考からは無数に分割された実在という見方が生まれ、語と実在の対応説からは多様多彩な実在という見方が生まれた。かくして、一切万物(自然)を無数の多様多彩な実在の関係構造として説明することで、「実在の種類と数の驚くべき多さ」をもつ多元論的実在論が帰結されることになった。
ところで、以上に述べた原子論、九実体説、パダールタ説、ārambhavāda、内属という順序はヴァイシェーシカ思想の年代的な成立過程を表わすわけではない。あくまでも思想の論理的な構造を表わすものであって、説明の仕方によってはこれと逆の順序も可能であろう。いずれにせよ、なぜヴァイシェーシカの多元論的実在論において「実在の種類と数の驚くべき多さ」が帰結されるのかという問いに対する解答がこの思想構造である。
ヴァイシェーシカ学派の起源に関する諸説は、金倉(1971)に簡潔にまとめられている。89) われわれは、この学派の成立過程について十分な資料をもっていないが、これまでの考察から少なくとも次のことはいいうるであろう。まず、この思想が非バラモン系統の思想を主体として成立したということはありえないということである。先に見たとおり、確かに九実体説などには非バラモン系統の思想との近似が認められるが、これらは伝統的なバラモン思想に飽き足らないバラモン達によって吸収、受容されたものであろうと考えられる。というのは、VS第6章にダルマが説かれるが、その内容は、浄(śuci)・不浄(aśuci)や急迫時のダルマなどバラモン至上主義の色彩の濃いものである。90) これは非バラモン系統の思想家の保持する倫理ではありえない。第6章は後代の付加と見る説もあるが、VS6.2.2と婆薮(4世紀)の『百論釈』との関係から、91) それ程遅い成立とは考えられない。
次に、上述の通り、ヴァイシェーシカの体系は複数の思想の複合として成立している。それらの思想のうち、九実体説はパクダの要素説などに、パダールタ説は文法学派の思想に、そしてārambhavādaは無から有が生ずるというヴェーダ以来の因果観などに、それぞれ質の類似する先行思想を見出すことができる。しかし、「内属」という関係は独自の思想で他に類を見ない。したがって、思想の諸要素を複合して「内属」という関係を実在原理とした時にヴァイシェーシカ学派は成立したと考えてよいであろう。
最後に、ヴァイシェーシカ思想は以上のように様々な思想の複合として成立しているので、ある特定の思想、たとえばアリストテレスの思想などから直接影響を受けて成立したと考えるのは適当ではないであろう。 92) 天文学の場合のように明確ではないが、93) ギリシア思想の影響がインド思想に及んだ可能性は極めて高く、したがってヴァイシェーシカ学派の成立にも何がしかの影響があった可能性は十分考えられるが、それがどの程度この学派の成立の直接的な原因になったかは不明である。
さて、ヴァイシェーシカ学派が描く自然の中には多様多彩な実在が存在すると認められる。無数の実在は、それぞれ固有の独自性が認められ、自然の中に位置づけられている。この多元論的な自然観は、自然には限りなく多様な意味と価値が本質として内在していることを教える。この点で、一元論あるいは二元論が支配的で自然に固有の意味や価値を認めず、それらは主観によって付与されるものとするニヒリスティックな傾向がある現代の自然観とは大いに異なる。
ヴァイシェーシカ学派にとって正しい知とは、意味と価値を本質として持つ自然のあるがままの(yathārtha)知である。しかし、無限性をもつ実在のトータルな知は通常には起こらない。通常にはごく限られた一部を知るにとどまる。それを可能にするのがヨーガ行者の知覚と考えられた。この特殊な知覚はVS9.13-17に説かれている。94) この知覚によれば、一切の実体が属性と運動とともに知覚されるという。言語に即して世界を理解しようとする合理主義を基本的な立場とするヴァイシェーシカ学派が神秘主義的なヨーガを容認する理由はここにあると思われる。ここにおいて「実在の驚くべき種類と数の多さ」をもつ自然が、あるがままに見られ、究極の目的として求められる解脱が実現される。 95)
注
89) 金倉(1971) p.3f.
90) 中村(1959) p.13、 宇井(1924) p.39、 宇井(1926) p.580、 服部(1989)、 服部(1996)
91) Nozawa(1996) p.(25).
92) 定方(1972)
93) 矢野(1987)
94) Isaacson (1993)
95) 真実知が解脱をもたらすという思想は、VSには注54で触れたU1.1.4以外に無いが、医学書『チャラカ・サンヒター』1.1.28-29には、この思想が六パダールタとともに言及される。矢野(1988) p.10参照。
この意味でのsarvamは、VSには現れないが、NS4.1.25,29,31,34に出る。
(1997年作成 2014年4月改訂)