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第1節 アーリア人の宗教ーーヴェーダの神話と祭式思想

 

1. ヴェーダ

 

1)ヴェーダ文献

 現存するインド最古の文献は、ヴェーダである。「ヴェーダ」という語は、二種類の意味で用いられる。広義の「ヴェーダ」は、西紀前1500年頃、インドへ西方から侵入したとされるアーリア人1)の残した文献群、すなわちヴェーダ・サンヒター(本集)とその三種の付属文献、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドの総称として用いられる。一方、狭義の「ヴェーダ」は、このうちのサンヒターを指して用いられる。

 

 広義のヴェーダの成立期間は長く、最古のヴェーダ・サンヒターからウパニシャッドまでの間には、「新ウパニシャッド」と呼ばれるものを除いても、1000年以上の開きがある。

 

 ヴェーダは、口伝によって現代まで伝えられたが、その正確さには驚くべきものがある。もちろん、すべてが伝承されたわけではない。文字で記されるようになったのは、14世紀後半で、南インドにおいてとされる。2)

 

2)サンヒターと四ヴェーダ

 ヴェーダ・サンヒターには四種類あり、四ヴェーダといわれる。『リグ・ヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』である。これらは、祭式において唱え歌われる賛歌(マントラ)、呪句の集成で祭官の職分に応じて作成され、伝承された。内容は、古代インド・アーリア人の祭式と密接に結びついている。彼らは、戦勝、子孫繁栄、降雨、豊作、長寿などさまざまな願望を成就するために祭式を行った。ヴェーダは、それらの祭式の実行と解釈のために作られた伝承の集成といった性格をもつ。

 

3)三ヴェーダ

 四ヴェーダのうち最後の『アタルヴァ・ヴェーダ』は、主として呪術に用いられる呪句を集めたもので、ヴェーダ祭式に関わる前三者とは性格が異なる。またヴェーダとしての権威を認められたのも遅く、一段低いものとみなされる。そのため、これを除いた三者をあわせて「三ヴェーダ」と呼ぶことがしばしばある。

 

4)ブラーフマナ

 ブラーフマナは、祭式の次第・順序などの規定とマントラの起源・語義などを神話と結びつけて神学的に説明することを主な内容とする散文の文献である。その神話や伝説は後代の文学に影響を及ぼした。

 

5)アーラニヤカ

 アーラニヤカは、「森林書」と訳されることがあるが、祭式の神秘的な意義を説き明かすもので、人里はなれた所において説かれるべきものとされるのでこの名がある。ブラーフマナとウパニシャッドの中間的な性格を持ち、単なる祭式の説明にとどまらず一部に哲学的な思想も含む。

 

6)ウパニシャッド

 ウパニシャッドは「奥義書」と訳されることがある。ヴェーダの秘教的な思想を集めたもので、その神秘思想は多くの人の注目を集めてきた。これはまた、ヴェーダの最後の部分で、「ヴェーダーンタ(ヴェーダの最後)」とも呼ばれ、転じて「ヴェーダの極致」と解釈される。 ウパニシャッドの思想は、第3節で扱う。

 

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 1) この「アーリア人仮説」に対しては、今日さまざまな批判があり、要注意。津田元一郎『アーリアンとは何か その虚構と真実』人文書院、1990年参照。

 

 2) コーサンビー『インド古代史』岩波書店、1966年、p.113. ヴェーダの写本が作られたのは、紀元後数世紀という説もある。また、インドには聖典を口伝する長い伝統がある。中国の僧、法顕は、AD399-414年にインドを旅行したが、経典はもっぱら口伝され、文字と書が用いられないことを伝えている。中村元『ヴェーダの思想』p.49.『高僧法顕伝』大正蔵 no.2085、第51巻、p.864b.

 

参考文献

 辻直四郎『インド文明の曙』岩波新書、1967年

 辻直四郎編『ヴェーダ・アヴェスター』 世界古典文学全集 第3巻、 筑摩書房、1967年

 中村元『ヴェーダの思想』(中村元選集 [決定版] 第8巻,春秋社、1989年)

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