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4.ヴァイシェーシカ学派の自然観の概要

 

 一見矛盾するように思われる異質な思想が融合することによってまったく新しい思想が成立することがある。ヴァイシェーシカ学派の思想の成立もそのような思想現象の一つであったと思わせる痕跡が、この学派の最古の文献VSには見出される。 22)

 

 もっとも、思想の質の相違を判定することは、容易なことではない。たとえば、実在の根拠として「感覚」と「思考」のどちらを重視するかという問題は、西洋思想においては、エレア学派が両者を厳格に区別して以来、重要な役割を演じ続け、近代の経験論と合理論の対立にまでその影響は及んでいる。しかし、この争点はインド思想には適用できない。

 

 ヴァイシェーシカ学派は、「知覚」と「推論」をともに認識手段として認めるが、これを異質な思想、経験論的な思想と合理論的な思想の融合とみなすことは適当ではない。「知覚」と「推論」はともに正しい認識を生む手段とみなされ、正しい認識は実在と対応すると考えたので、これら二つが対立的な関係にあるという観念は働かなかった。

 

 西洋思想史の見地からすれば、パダールタ説(カテゴリー論)に立脚する基本的に「合理論的な思想」であるヴァイシェーシカ学派が本質的に「神秘主義的・非合理主義的なヨーガ」を解脱の手段として容認することは矛盾であろうが、インド思想の文脈において、これは決して矛盾ではない。普通には推論されるしかないアートマンや原子などが、ヨーガにおいては知覚可能になると考えられた(9.13-17)。23)

 

 このような知覚も正しい知識根拠として認められ、通常の知覚と同様に実在の根拠とみなされた。

 

 ヴァイシェーシカ学派の原子論にも、一見思想の融合かと思わせる興味深い特徴が見られる。原子が地・水・火・風の四要素に分けられており、虚空は原子論的な「空間」と要素論的な「エーテル」の二重の性格を帯びているようである。これはギリシア思想の観点からすれば原子論と要素論の融合である。

 

 古代ギリシアにおける原子論と要素論は、エレア派のパルメニデスの「有は有である。無は無である。 有は一である」という主張に対し、それぞれ異なった反応をすることによって生まれた対立する物質観である。デモクリトスの原子論は、原子が運動する空間として「空虚」の存在を説き、パルメニデスの原則を否定して「無(空虚)も有に劣らず有る」という立場をとった。一方、エンペドクレスの要素論はパルメニデスの主張と可能な限り調和するように立てられた。原子論によれば、自然現象は空虚(真空すなわち無)の中での分割不可能な原子(有)の集合離散である。要素論によれば、宇宙に真空(無)は存在せず、自然は単一の連続体で多様な差別相は四要素の混合の比率の違いから生まれる。24) 古代ギリシアにおいて「要素」は粒子状の原子とは異なり、差異化されたエネルギー状の存在として物質を説明する原理である。 25)

 

 インドにおいては、原子論と要素論の対立が明確に現れることがない。そのため真空の存在をめぐって真摯な議論がなされることも稀である。その結果、インドにおける「空間(虚空)」(潴璞a)は、「空間」のようでもあるし、「エーテル」のようでもある。この論理的な曖昧さは、ひょっとすると借用思想であることを示唆するのかもしれないが、要素論の先駆思想とみなしうるものがインドにも古く存在するので、この問題の決着は容易ではない。 26)

 

 VSの思想で異質な理論が混在していると考えられるのは実体観である。VSには二つの実体観が現れる。27) 二つの実体観は、それぞれパダールタ説と九実体説(原子論)を背景としている。パダールタ説は、語と実在の対応を前提として存在するものが語によって表わされるとする。そのため、目にみえないものから知覚される具体的な個物にいたる存在の様々なレベルにおいて語によって表わされるものをいずれもそれぞれに独自な実在とする。したがって、全体は部分の集合とは別の実在であるとする全体論(holism)の実体観を有する。

 

 これに対し、九実体説、特にそのうちに含まれる原子論は、本質的に還元主義(reductionism)の物質観である。この立場では、現象している存在はより基本的な・原理的な存在に還元しうると考える。いいかえれば、知覚される存在は知覚されない原因によって構成された結果であると考える。原子は、究極の原因を求めて分割・還元していった究極に現れるものである。

 

 シャンカラがヴァイシェーシカ学派を「半虚無論者」(ardhavaināśika)と呼ぶのは、パダールタとしての実体の常住性を説く一方で、原子論的思考を有し、常住性と相容れない刹那単位の分析をする点を批判しているのであるが、この思想の構造をよく表わしているといえるかもしれない。28)

 

 パダールタ説の上での実体と九実体説での実体の違いは、もう一つの側面も有する。それはアリストテレスが、実体に関する彼以前の二つの伝統を前提として、形相と質料の説を完成させたことと似ている。すなわち、一方には 「それが何であるか」という問いに対する答えの基体として実体を考える伝統(プラトン的な伝統)があり、もう一方には、現象がさまざまに変化していく中にあって、それ自体は変化することなく存続しつづけるものとして実 体を考える伝統(自然学的な伝統)があり、「形相」は前者の伝統を、「質料」は後者の伝統を反映している。アリストテレスは二つの伝統を融合させることによって実体を理解した。

 

 ヴァイシェーシカ思想の「実体」にも、まさしく同じことが指摘できる。パダールタ説における実体は、「それが何であるか」という問いに対し答えの基体になるものとして実体を考える伝統の上に立つ。VSは、あるものにつ いて「それが何であるか」を明らかにするものとして「普遍・特殊」という原理を立てる(8.6)。「普遍・特殊」はなにものかに存在しているが、その究極の基体は実体である。「普遍・特殊」は実体のみならず、属性や運動にも存在するが(1.1.7)、実体の特徴は、内属因として属性・運動・普遍・特殊の基体となる点である(1.1.14)。この場合、実体とは「牛」などの語によって指示される“牛”などのものであって、その存在が 常住であるとは限らない。

 

 一方、九実体説における「実体」は現象がさまざまに変化していく中にあって、それ自体は変化することなく存続しつづける常住なものとして実体を考える伝統の上に立つ。この場合、実体は原因を持たない(2.1.11)。そして、原因を持たないから常住不変である(2.1.13)。ここで、実体とは地、水、火、風などの九実体であり、常住な存在である。

 

 このような類似点は、ヴァイシェーシカ思想がアリストテレスの思想の影響下にあることを意味するわけではない。ヴァイシェーシカの場合は、アリストテレスの場合と異なって、二つの実体観の矛盾の回避はまったく異なる観点からなされた。すなわち、「内属」という関係概念を用いることによって二つの実体観は調和された。常住不変な存在で物質的には質料因として働く実体と必ずしも常住とは限らず知覚と言語表現の対象となる属性・運動・普遍・特殊の基体としての実体という二面を統合するものとして「内属因」という観念が形成された(1.1.14、 7.2.29)。

 

 そもそも、実体観が異なるパダールタ説と九実体説を結び付けたものは何か。それは実在論であろう。どちらの説も知覚されるものから目にみえない存在を推論(思考)によって積極的に論証する合理論的な実在論という点では共通性をもつ。この共通基盤の上で二つの説は統合され、「内属」をキーワードとするārambhavādaとして一つの体系にまとめあげられた。その結果、ヴァイシェーシカ学派の自然観は、思想史上類を見ない多様さで様々な存在を「実在」と認めるものになっている。

 

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 22) 野沢(1995) pp.72-84.

 23) Isaacson(1993), Nozawa(1996), Cf. Wezler(1982)

 24) サーンキヤ派の3グナ説や有部の「八事倶生」説は発想がこれと似ている。今西(1978)

 

 25) Guthrie(1965) p.138f.

 26) 野沢(1987) pp.159-169.

 27) VS 1.2.9は、普遍について「一実体を有するから実体ではない」ことを説く。(1.2.9 eka-dravyavattvān na dravyam.)これは、実体が「実体を有しないものか、多実体を有するもの か」のどちらかであることを含意する。一方、VS 2.1.11は、九実体の一つの風について「実体 を有しないから実体である」と説く。(2.1.11 adravyavattvād dravyam.)これは、実体が「実体 を有しないもの」であることを含意する。野沢(1995) pp.77f.


 28) ŚBh on BS 2.2.18, p.449. 金倉訳(1980) p.491.

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