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7. 多元論の様相(2)九実体説

 

 ヴァイシェーシカ学派は、地・水・火・風・虚空・時間・方角・アートマン・マナスを九実体とする。九実体説は、おそらくブッダと同時代の多元論的な自由思想家達、たとえば人間を地・水・火・風・楽・苦・生命(あるいは霊魂)の七要素からなるとするパクダ・カッチャーヤナ、あるいはアジタの四要素説など多元論の伝統を継承するものであろう。 38)

 

 自由思想家達の要素論には、複雑で多様な現象の背後にあるシンプルで原理的な存在の追究が明らかな傾向としてある。前節でとりあげた原子論もそのような追究の結果得られた理論であろう。ヴァイシェーシカ学派において原子論は九実体説の一部として位置づけられる。原子的・物質的実体であれ、精神的実体であれ、九実体には共通の実体観が働いている。雑多な多様性をもって変化してやまない現象を分析して、その中に究極的には不変の「実体」が見出しうるという考えのもとに、常住な存在としての「実体」とは何かを追究して、九実体説は立てられた。ヴァイシェーシカ学派は究極の存在を一者に還元しなかったが、「実体」とされるものには共通の性質がある。

 

 VS 2.1.11は、原子としての風が実体であることについて「実体を有しないから実体である」と説明する。この説明は他の原子ではない五実体のすべてについて繰り返される。39) 「実体を有しない」とは「それを構成する実体をもたない」いいかえれば「実体によって構成されていない」ということである。実体であるかどうかは、「それが何か実体によって構成されていないこと」によって判定されるのである。これは、先に引用したシャンカラの原子論の紹介に現れる実体の還元主義的発見法である。原子、虚空、アートマンなどが、それぞれ他の実体には依存しない独立した存在、すなわち「実体」と認められて、九実体説は確立された。

 

 ヴァイシェーシカ学派は、「実体」に到達して原理の追究を止めた。ここからさらに探究を続けて、超越的な存在に自然(万物)の起源あるいは究極の原因を求めることはしなかった。九実体説は、合理的な思考の領域内で立てられた。この合理性により九実体説は、ことばによる知の構造に即して世界を理解するパダールタ説と融合する可能性が生まれた。九実体説の実体観は、文法学派の「個物」(dravya)あるいは「基体」(adhikaraṇa)を起源にすると思われるパダールタ説の実体観とは決定的に異なり、 40) その融合はヴァイシェーシカ学派の実在論の多元論的な性格を一層顕著にした。

 

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 38) Ui(1917) p.25. Basham(1951) p.269.

 39) VS2.1.27, 2.2.7,13, 3.2.2,5.
 40) 宇井(1924) p.85, Matilal(1971) p.108, 谷沢(1996) pp.(173)-(183)

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