top of page

5. 華厳経

 

 大乗仏教では信仰の対象となるブッダに関する考察が進み、ブッダの現れ方を応身(おうじん)・報身(ほうじん)・法身(ほっしん)の三種に分けて考える三身(さんじん)説が現れる。

 

 「応身仏」とは、歴史的に存在したブッダ、すなわち衆生の救済のために身体をもって現れた仏である。

 

 「報身仏」とは、阿弥陀仏、薬師如来など、悟りの果報として現れた完全円満な永遠の存在である。

 

 「法身仏」とは、仏の本体はその教え、すなわち仏法にあるとして、これが人格化された仏である。

 

 『華厳経』では、釈尊が法身である毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)と同化され、8)あらゆる差別相を有するこの世も、真実には釈尊の成道によって実現した真理の世界(法界、ほっかい)であるとする。

 

 小さな塵の粒、一本の毛の穴の中にも無数の仏国土がある(一即一切、一切即一)。そのような迷いの世界は、その本性において空であり、そのまま悟りの世界である。衆生が輪廻する三つの領域(欲界・色界・無色界の三界)の存在は、すべて心から現れるという唯心説を説く。

 

 全八会からなるうち、サンスクリット原典が残っているのは、第六会十地品9)と最後の入法界品だけである。前者は菩薩の修行が深まる段階を10に分けて説く、また後者は善財童子が教えを求めて53人のさまざまな職業の人々をたづね歩く求道の物語である。10)

 

     【目次へ】                           【次へ】

 

 8) 毘廬遮那仏は東大寺の大仏でよく知られている。密教では、この仏(Mahāvairocana)が意訳され、大日如来と呼ばれる。

 

  9) 荒牧典俊訳『十地経』(『大乗仏典』第 8巻)中央公論社、1974年。

 

 10) 東海道五十三次は、これにちなんで定められた。
 

bottom of page