ここは哲学と東洋思想の小さな宇宙です
A tiny world of philosophy and oriental thoughts
11.内属
ārambhavādaの形成により、二つの実体観の調停が可能となった。還元主義的な立場から原理的な存在として実体を見る九実体説の実体観とことばで表わされ、知覚される個物を実体と見るパダールタ説の実体観の橋渡しができた。ārambhaの理論によって、極微の原子から目にみえる個物の発生の説明が可能となり、それぞれ独立の存在でありながら、構成し構成される原因と結果の関係によってつながった無数の実在の長い連鎖ができあがった。
しかし、これでヴァイシェーシカ学派の多元論的実在論の体系が完成したわけではない。ārambhavādaでは、部分(原因)と全体(結果)が別個の実在とされる。この関係を説明する原理が必要とされた。VSにおいて部分と全体を別個の実在とする説は次のスートラに現れる。
「10.10 同一物(身体)と内属の関係にある他の諸原因(頭などの部分)について、(それらを)見ることから『(身体の)一部分である』という(知が生じ、それによって)同一物(身体)について(「結果である」という知が)生ずる。」
「10.11頭、背、腹、手という(知が)、それぞれ(の部分)の特殊(viśeṣa)によって(生ずる)。」 85)
部分と全体をまったく別の実在とすることからヴァイシェーシカ学派に独特のユニークな関係が原理として立てられることになる。糸と布を例にとれば、唯名論者は、布は単に糸の集まりにすぎず、糸と独立に布が有るわけではないとする。これに対し、ヴァイシェーシカ学派は、部分である糸と糸から構成される全体である布とは別の実在であると主張する。糸の有るところ以外のところに布が有るわけではないが、布は糸と別の実在とされる。糸と布は不可分な存在でありながら、原因と結果あるいは部分と全体として別の実在とされる。このように部分であり原因である糸と全体であり結果である布の不可分でありながらも別の実在であるという奇妙な関係を説明するためにヴァイシェーシカ学派は「内属」(samavāya)という原理を立てた。
「7.2.14 分離して存在することがないから結果と原因に結合・分離はない。」 86)
「7.2.29『(同じく)ここにあり』という(知が)結果と原因に(生ずる原因となるもの)それは内属である。」 87)
この「内属」の観念による因果観は、存在の論理的な分析に基づいて原因と結果の関係構造を説明する。したがって、因果関係が時間的な前後関係ではなく、基体とそれに依存するものとの空間的な関係構造として扱われる。この因果観は論理的な構造をもつものとして実在世界を理解するパダールタ説の立場において成立している。
VSには二つ層が認められる。 88) 先に触れた二つの実体観は二つの層の相違を反映しているのであるが、因果観についても同様の対立が見られる。還元主義的な実体観をもつ九実体説が支配的な層は第2章から第6章までであるが、この層では杵の運動や矢の運動のように時間上に現象する力学的な因果関係が扱われる。 一方、全体論的な実体観をもつパダールタ説が支配的な第1章および第7章から第10章までの層では、「内属」をキーワードとする空間的、論理的な因果観を特徴とする。因果関係を時間の流れにそってではなく、時間を瞬間毎に切り取って、その中での存在の諸要素の因果関係の、力学的というよりも論理的な究明がなされる。ここではすべてが静止しているかのように扱われる。
VS10.12-18には「内属」の観念によって構成された因果説がまとめて説かれる。ヴァイシェーシカ学派は、VS以後パダールタ説を整備する方向に発展していったので、因果観も「内属」を中心とする空間的な因果観が支配的となっていく。そのため、PDhにおいては矢の運動の解説など本来力学的な因果関係も時間を刹那単位に分解して、ちょうど映画のフィルムの1コマ1コマについて構図がどのように変化しているか説明するように、論理的、空間的な因果関係が分析される。 「内属」というパダールタの採用が、ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派にスコラスティックな理論を展開する方向性を与えたといってもよいであろう。
注
85) VS 10.10 ekārthasamavāyiṣu kāraṇāntareṣu darśanād ekadeśa ity ekasmin. 10.11 śiraḥ pṛṣṭham udaraṃ pāṇir iti tadviśeṣebhyaḥ.
86) VS 7.2.14 utasiddhyabhāvāt kāryakāraṇayoḥ saṃyogavibhāgau na vidyete.
87) VS 7.2.29 iheti yataḥ kāryakāraṇayoḥ sa samavāyaḥ.88) 野沢(1995)