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2. 梵我一如の思想

 

 梵、すなわち「ブラフマン」と我、すなわち「アートマン」が同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする。これが梵我一如の思想である。

 

 ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。ブラフマンは、もともとは、ヴェーダの「ことば」を意味する語で、呪力に満ちた「賛歌」「呪句」を表した。やがて、それらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになり、さらに、この力が宇宙を支配すると理解されて「宇宙を支配する原理」とされた。

 

 アートマンは、私という一個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている「霊魂」であり、私をこのような私にしている「自我」、もしくは「人格」である。元は、ドイツ語のAtem「息、呼吸」と同じ語源から生まれた語で、「息」を意味した。ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには「個体を支配する原理」とみなされるにいたった。この語はさらに「ものの本質・本体」という意味でも用いられる。

 

 この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。その代表的な思想家は、シャーンディリヤ、ウッダーラカ・アールニ、ヤージュニャヴァルキヤなどの哲人である。1)

 

 梵我一如の思想の背景にあるのは、ヴェーダ祭式の「同一視の論理」である。「同一視の論理」は呪術の論理で、たとえば、獲物の足跡に傷をつける猟師のまじないがある。足跡を獲物の足と同一視して、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げられないと考える。ヴェーダの祭式では、祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と同一視する。呪術によって、祭場にある祭具などを操作することで自然を支配しようとするのである。

 

 これに対して、ウパニシャッドの哲人たちは、同一視の論理を祭式でなく、瞑想で用いた。ウパニシャッドには「AをBとウパースする」という句が多くみられる。瞑想でAをBと同一のものとみなして(ウパースして)意識を集中する。意識の集中により、分別による知を乗り越えて、対象が直観される。そのとき、主観は対象の中に入り、対象と融和する。対象そのものになり、同化する。同化すれば、それのもつ力が自分のものになる。こうして、瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を体得することをめざす。「太陽はブラフマンである」「虚空はブラフマンである」などといったものから「食物はブラフマンである」「思考力はブラフマンである」などと、さまざまな原理が同一視された。とりわけ、気息、目、耳、思考力などの生活諸機能がブラフマンとの同一視の対象とされた。ウパニシャッド思想の発展とともに、それらは、個体原理アートマンと宇宙原理ブラフマンの同一視に収束していった。2)

 

 後にバラモン思想の主流となるヴェーダーンタ思想は、梵我一如の思想を発展させたものである。また、大宇宙(梵)と小宇宙(我)の融合合一という考えは、その後の神秘主義思想にくりかえしあらわれる。たとえば、仏教でも密教の大日如来の観想による即身成仏には、同じ発想がみられる。

 

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 1) 中村元『インド思想史第2版』岩波全書、1956年、25頁。 服部正明「インド思想史(二)」(『岩波講座東洋思想』第6巻)、9頁以下参照。

 

 2) 服部正明『古代インドの神秘主義思想』講談社現代文庫、p.44以下参照。

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