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2. 中道

 

 実践においては「中道」が説かれる。「中道」とは、単に二つの極端な立場の中間をとるというのではなく、二つの極端から離れた自由な立場、矛盾対立を超越している立場を意味する。

 

 当時のインドには、苦しみから解放されるために、どのような実践方法をとるかについて、さまざまな立場があった。ローカーヤタ派のように快楽主義に立つ思想もあったが、大方はいかにして欲望を制御するかに関心があった。欲望が苦しみの原因と考えられたからである。欲望を制御する方法として、さかんに行われたのは、肉体の苦痛を耐えしのぶ苦行(タパス)である。ブッダも、悟りを得るまでの一時期、苦行を実践したことがあるが、後に苦行の無意味さをさとり、瞑想すなわち禅定の方法を選んだとされる。このことから、ブッダは快楽主義でも苦行主義でもない「中道」をとったといわれる。そして、「中道」が修行者のとるべき道として説かれる。

 

 「修行僧らよ、出家した者が近づいてはならない二つの極端がある。二つとは何か。一つは、欲望の中にあって、欲楽にふけることで、劣っていて、いやしく、凡愚のすることで、聖なるものでなく、目的にかなうものではない。もう一つは、自分を苦しめることにふけることで、苦しく、聖なるものでなく、目的にかなうものではない。如来は、両極端に近づくことなく、中道を悟った。これは、(真理に対する)眼を生じ、知を生ずるもので、心の平静・神通力・悟り・涅槃へ導く。」(Mahāvagga 1-6-17)

 

 具体的には、中道は八正道であるとされる。八正道については、後に説明する。


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