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5. 縁起

 

 世界が無常であることを明らかにすることによって、この世の苦しみを説明する一方で、苦しみを滅するために、苦しみを生み出す原因が何であるかを追究することも行われた。いわゆる「縁起説」である。1)

 

 「縁起」ということばは、現在では、もっぱら「縁起がよい、悪い」というように「ものごとの起こる前ぶれ、前兆」の意味で用いられている。しかし、もともとはそのような意味ではなかった。

 

 「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは、なんらかの原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」ということである。

 

 「縁起説」は、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼって、苦しみの根源をさぐりあて、それを滅することにより苦しみを解消することをめざすものである。

 

 これは後に整備され、因果系列の項目が十二にまとめられる(十二縁起)。十二縁起説では「根源的な無知」が苦しみの根本的な原因とされ、「悟り」と対置される。しかし、最古層の経典では、一定の因果系列は現れてこない。対論する相手に応じて、さまざまに説かれるが、もっとも多くとりあげられるのは欲望である。2)

 

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 1) 伝統的なブッダの伝記(仏伝)によれば、縁起説がブッダの悟りの内容であったとされる。ブッダは解脱をもとめて、悦楽と苦行の中間の道(中道)をとり、禅定に励んだ。そして、禅定の中で得た知見が、ブッダを安らぎに導いた。その知見の内容が、苦しみとその原因に関する「縁起」の理法であったとされる。


 2) Sn.862-877. 十二縁起については本章第 2節の 5参照。

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