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ヴァイシェーシカ学派の自然観 

 

野沢正信

 

はじめに

 

 ヴァイシェーシカ学派は、インドを代表する実在論哲学を構築した学派である。この実在論は多元論的な世界観の上に成立しており、そこに描かれる自然には実在が満ち溢れている。この学派によって「実在」とされるものの種類と数の多さ には、「驚くべき」という形容が加えられてもよいであろう。

 

 その「実在の種類と数の驚くべき多さ」は、次のように喩えられるかもしれない。二枚の鏡を互いの像が映り合うように立てる。二枚の鏡にはそれぞれ大きな像から無限に小さな像まで鏡の奥深くへ向かって並んでいるのが見られる。ヴァ イシェーシカ学派の「自然」には、これと似たところがある。一個の物体(身体)には多くの部分がある。物体(身体)は実在であり、諸部分(頭、手、足等)もそれぞれ別の実在とされる。さらにそれら諸部分に多くの部分があり、これらもまた それぞれ異なる実在とされる。この繰り返しは原子に至り、部分への分割が不可能になるまで続く。全体から部分へ、さらに部分の部分へ原子に至るまで分解され、それぞれがすべて独自性をもった実在とされる。

 

 しかも、ヴァイシェーシカが実在と認めるのは、原子と原子からなる物体だけではない。虚空(空間もしくはエーテル)・時間・方角、アートマン(霊魂)・マナス(思考器官)といった実体や属性、運動、普遍、特殊、さらには内属という 関係をも実在とみなす。この学派が描く自然には無数の実在が溢れかえっている。ヴェーダーンタ学派のシャンカラは、このようなヴァイシェーシカの実在論を多様な表現があるだけで、それに対応する実在があるわけではないと、次のよう に批判する。

 

 「単一のものであっても、固有の本質と(それをとりまく)外部のものの性質とによって、多くのことばによる表現が見られる。たとえば、デーヴァダッタは一人でも、世間では、彼の固有の本質と彼と関係するものの性質とによって、多くのことばによる表現がある。人、バラモン、ヴェーダ学者、寛大な人、子供、青年、老人、父、息子、兄弟、 婿というように。たとえば、一本の線であっても、異なる位置に書かれると、1、10、100、1000のようにことばによる表現の違いを受ける。」 1)

 

 ヴァイシェーシカ学派の描く自然では、多くのことばによって表現されるものが、それぞれすべて独自性をもつ実在なのである。ヒンドゥー寺院が、その外壁をぎっちりと膨大な数の彫像で埋め尽くされているように、ヴァイシェーシカの 自然も無数の実在によって埋め尽くされている。この自然の見方を一語で表現すれば多元論的実在論であろう。以下、この「実在の種類と数の驚くべき多さ」を有する自然観が、どのような思想構造において成立しているかを究明する。

 

 この学派の思想には歴史的な変遷が認められる。ここでは、それら年代の差異を考慮してヴァイシェーシカ学派の自然観を通史的に扱うことはせず、もっぱらその初期の思想に焦点を絞って、このユニークな実在論思想がどのような思想構 造をもつているかを論ずる。

 

 主な資料として、2世紀前半までに成立したと考えられるこの学派現存最古の文献『ヴァイシェーシカ・スートラ』(VS)を用い、6世紀に成立した綱要書『パダールタ・ダルマ・サングラハ』(PDh)や姉妹学派であるニヤーヤ学派の最 古の文献で2世紀半頃の成立とされる『ニヤーヤ・スートラ』(NS)、その注釈書で5世紀前半までの成立とされる『ニヤーヤ・バーシュヤ』(NBh)など初期のヴァイシェーシカ思想を反映していると考えられる文献を参考に用いる。

 

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使用テキストと略号

 MBh: Mahābhāṣya; The Vyākaraṇa-Mahābhāṣya of Patañjali, ed. by F. Kielhorn, Poona 1880-85 (3rd. ed. Poona 1962-72).

 

  NBh: Nyāyabhāṣya. See NS.

  NS: Nyāyasūtram, Vātsyāyanīya-Nyāyabhāṣyaṃ Vācaspatimiśrakṛta-Nyāyasūcnibandha -sahitam, ed. by Gaṅgānātha Jhā POS 58, Poona 1939.

  PDh: Padāthadharmasaṃgraha; The Bhāṣya of Praśastapāda together with the Nyāyakandalī of Śrīdhara, ed. by Vindhyeśvarīprasad Dvivedin, VizSS 4, Benares 1895, (rpt. Delhi 1984).

  ŚBh: Brahmasūtra-Śāṅkarabhāṣyam, ed. by J. L. Shastri, Delhi 1980.

  U: Upaskāra, ed. by Dhuṇḍhirāja Śāstrī, KSS 3, Varanasi 1923.

  VS: Vaiśeṣikasūtra of Kaṇāda with the Commentary of Candrānanda, ed. by Jambuvijaya Muni, GOS 136, Baroda 1961.

 

 * 本稿は、今西順吉編著『インド的自然観の研究』(国際仏教学大学大学院、1999年)所収の論文をほぼ採録したものである。


 1) Śaṅkarabhāṣya on BS 2.2.17, p.446.6. 金倉訳(春秋社 1980) p.487.

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