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3. アジタ・ケーサカンバリンの唯物論

 

 アジタ・ケーサカンバリンの「ケーサカンバリン」は「髪の毛で作った衣を着る者」の意味である。アジタは、教団を開いたが、それは、古代ギリシアにおけるエピクロス派の教団のような、素朴な人生の喜びをともに分かち合う共同体のようなものであったと推測される。この教団は後にチャールヴァーカとかローカーヤタと呼ばれるようになる。

 

 彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りもない。人間は地水火風の四要素からなるもので、死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続することはない。布施に功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。

 

 「人は(地水火風の)四要素からなる。

  人が死ぬと、地は地、水は水、火は火、風は風に戻り

  感覚は虚空の中に消える。

  四人の男が棺を担いで死体を運び

  死者の噂話をして火葬場にいたり

  そこで焼かれて、骨は鳩の羽根の色になり

  灰となって葬式は終わる。

  乞食(こつじき)の行を説くものは愚か者。

  (物質以外の)存在を信ずる人は空しい無意味なことをいう。

  からだは、死ねば、愚者も賢者もおなじように消滅する。

  死後、生きのびることはない。」

     (『沙門果経』§22-24.『バラモン教典・原始仏典』世界の名著1、p.512.)

 

 だから、宗教的な行為は無意味で、この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得るべきだという。

 

 「生きているかぎり、人は幸せに生き、ギー(溶けたバター)を飲むべきだ。    たとえ借金をしてでも。

 というのは、からだが灰になるとき、何がこの世に戻れよう。(何もないからだ)」1)

 

 しかし、楽しみには悲しみがつきまとう。それを恐れて喜びから退いてはいけない。時には訪れる悲しみも喜んで受け入れよと説く。

  「人は、悲しみがともなうことを恐れて、喜びから退いてはいけない。

  この世での喜びのためには、たまに訪れる悲しみも喜んで受け入れよ。

  魚をもらうとき、骨がついてくるように。

  米をもらうとき、籾殻がついてくるように。」2)

 

 この思想は宗教や道徳の根本を破壊するものと恐れられ、他のインド思想諸派から激しく攻撃された。それにもかかわらず、この派が栄えた時代もあったことは否定できない。マウリヤ朝のチャンドラグプタの大臣カウティリヤの作と伝説される『実利論』第1巻第2章は「哲学は、サーンキヤとヨーガと順世派(ローカーヤタ)とである」とする。3)

 

 この書の成立年代は明確でなく、紀元前3世紀から紀元後4世紀までの間とされるが、1世紀の後半から2世紀の前半に明確な形をとったと考えられるヴァイシェーシカ学派の名があげられていないことから推定すれば、ヴァイシェーシカ学派に先立つ紀元後1世紀までに、ローカーヤタ派が栄えていた時代があったのであろう。

 

 この派の文献で、現在まで伝わるものは極めて少ないが、8世紀ころの成立とされるジャヤラーシの『タットヴァ・ウパプラバ・シンハ』(「真理」を破壊するライオン)は現存する。

 

 『タットヴァ・ウパプラバ・シンハ』は、自然の運行に「自然」(スヴァバーヴァ)そのもの以外の原因を認めず、知覚(感覚)だけを唯一の知の源泉として、推論に基づく<確実な知>の存在を徹底的に疑う懐疑主義の立場をとって、当時の主要な哲学・宗教諸派が立てる形而上学的な原理に対し、鋭い批判をあびせるものである。

 

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 1) 中村元『インドの哲学体系 I』(マーダヴァ『全哲学綱要』)1994年、p.31

 2) 中村元『インドの哲学体系 I』(マーダヴァ『全哲学綱要』)p.20.
 3) 上村勝彦『実利論』岩波文庫、上、1984年、p.28.

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